2017-02-19, 07:05 AM
平易にまとめてあるものの、監修者がきちんと原稿に目を通していないことが明白な書物です。
たとえば、204~205ページの「夫の男色に抗議して自殺したお姫様」の項目ひとつを取っても、それは明らかでしょう。
ここには安芸広島の浅野吉長の正室で加賀藩から嫁いだ節姫が、「夫の男色趣味を諫めるために、切腹して果てた」とありますが、事実は全く異なっております。
というのも、夫の浅野吉長は妻を迎えるに当たり、寵愛していた児小姓たちを、妻の実家たる大藩・前田家に遠慮して悉く「整理」してしまったところ、大名が衆道を好むことをよく心得えていた妻の節姫は、「左様な御配慮は無用。大名の御側には児小姓が侍るべきです」と言って、自ら家中の美少年たちを選んで新たに児小姓として夫君に供するほどだったからです。
そのため、夫婦仲も良かったのではあるが、後に浅野吉長が遊女や陰間たちを身請けし、剰え妻の反対を押し切って、彼らを同伴して国許へ帰ってしまった際に、体面と自尊心を傷つけられた節姫は女の身で割腹自殺を遂げたというに過ぎません。
たとえば、204~205ページの「夫の男色に抗議して自殺したお姫様」の項目ひとつを取っても、それは明らかでしょう。
ここには安芸広島の浅野吉長の正室で加賀藩から嫁いだ節姫が、「夫の男色趣味を諫めるために、切腹して果てた」とありますが、事実は全く異なっております。
というのも、夫の浅野吉長は妻を迎えるに当たり、寵愛していた児小姓たちを、妻の実家たる大藩・前田家に遠慮して悉く「整理」してしまったところ、大名が衆道を好むことをよく心得えていた妻の節姫は、「左様な御配慮は無用。大名の御側には児小姓が侍るべきです」と言って、自ら家中の美少年たちを選んで新たに児小姓として夫君に供するほどだったからです。
そのため、夫婦仲も良かったのではあるが、後に浅野吉長が遊女や陰間たちを身請けし、剰え妻の反対を押し切って、彼らを同伴して国許へ帰ってしまった際に、体面と自尊心を傷つけられた節姫は女の身で割腹自殺を遂げたというに過ぎません。